『魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』と『くるみ割り人形』の共通点

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魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』には『くるみ割り人形』を想起させる点が数多く存在する。

この事実はある程度知られているのもかかわらず、具体的にどのように『くるみ割り人形』が題材にされているのかについての考察は、公開から7年が経過した2020年においてもあらゆる媒体でほとんどなされていない。

本記事では『魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』と『くるみ割り人形』の共通点を明らかにする。そして、この考察を通じてより深く作品世界に浸れることを皆さんにお伝えしたい。

 

 

くるみ割り人形』のあらすじ


はじめに、『くるみ割り人形』の物語を簡単に説明する。

この物語はいくつかのパターンが存在するが、本記事ではE.T.A.ホフマンの原作になるべく準拠して翻訳された「くるみ割り人形とネズミの王様/ブランビラ女王」(光文社古典新訳文庫)を参考とした。

主要人物は太字で強調してある。

7歳のマリーはクリスマスイブにくるみ割り人形を貰う。
他のお人形と違って無骨なその人形をマリーはとても気に入るが、兄の乱暴な扱いのせいで、くるみ割り人形の歯が欠け落ち、顎が外れてしまう。

くるみ割り人形を気の毒に思ったマリーは、その夜、部屋で一人くるみ割り人形を看病していると、壁掛け時計が不気味に12回鳴り、気づけばマリーはネズミの軍団に囲まれていた。
怯えたマリーは戸棚のガラス戸を割ってしまう。すると、戸棚からくるみ割り人形率いる人形軍が出てきて合戦が始まる。窮地に陥ったくるみ割り人形を助けようと、マリーは靴をネズミの軍団めがけて投げつけ、そこで不意に気を失い、気がつくと包帯を巻かれてベッドに寝かされていた。母親たちの話では、マリーは夜中まで人形遊びをしているうちにガラス戸棚を割り、怪我をしてしまったのだという。
昨夜の合戦の痕跡はどこにもなく、人形ももう動かなかった。くるみわり人形は、おじさんが修理してくれていた。

 

くるみ割り人形とネズミの王様には深い因縁があった。ある姫がネズミの呪いを受け醜い姿にされてしまうが、とある青年の活躍で元の美しさを取り戻す。しかし、その身代わりに青年が醜い姿に変えられてしまう。マリーのくるみ割り人形こそ、その青年なのであった。)

 

それからというもの、マリーのもとに夜な夜なネズミの王様が現われるようになる。マリーが困ってくるみ割り人形に話しかけると、彼は剣を与えてほしいと答え、マリーは兄の兵隊人形の剣を彼に渡す。
その夜、くるみ割り人形は王冠を戦利品に、ネズミの王様に打ち勝ったことを告げ、マリーを美しい人形の国へ招待する。この上なく美しい人形の国を巡り、お城で宴の準備をしていると、マリーはまた気を失ってしまう。
翌朝、自分のベッドで目覚めたマリーは夢のような人形の国の情景が忘れられず、家族にそのことを話すも、誰からも取り合ってもらえない。マリーはこの日から、一人で夢に閉じこもるようになった。

 

ある日、マリーはくるみ割り人形に「ああ、もしあなたが本当に生きていさえしたら」と話しかける。その瞬間、マリーは再び気を失い、目を開けると家に青年が訪ねてきていた。彼はマリーと二人きりになると途端に、自分がマリーに救われたくるみ割り人形だと告げ、貴女のおかげでもとの姿に戻れたのだと話す。彼はいまや人形の国の王様であり、マリーを王妃として迎えに来たという。
マリーはそれを受け入れ、人形の国の王妃となって、美しい世界で暮らしたのだった。

 

くるみ割り人形』では、マリーはまどかを、くるみ割り人形はほむらを、戸棚の中の人形たちは魔法少女を、ネズミはインキュベーターを表しているように見える。

なにせ物語の結末、くるみ割り人形はとうとうネズミの王を討ち取り、マリーを人形の国に連れ去ってしまうのだから。

以下では、そのように考えられる点を詳しく検討していく。

 

 

 『まどか☆マギカ』との共通点

魔法少女まどか☆マギカ』の時系列に沿って、物語に対応した『くるみ割り人形』の要素を挙げていこう。

暁美ほむらが変貌した姿が「くるみ割りの魔女」であることから、この物語で「くるみ割り人形暁美ほむら」であることは確実である。くるみ割り人形暁美ほむらに置き換えて物語を振り返ると、そこには多くの共通点が浮かび上がる。

 

壊れてしまった人形

くるみ割り人形は、くるみを割る為だけに作られた人形である。しかし、歯が欠け顎が外れてしまっては、もう役割を果たせない。(p25)

ほむらもまた、まどかを救う為だけに魔法少女となったが、何度繰り返してもまどかを救えず、その望みは果たせなかった。

壊れてしまったくるみ割り人形に対して、マリーの兄フリッツは言う。

くるみ割りのくせに、まともに噛めないなんて――自分の仕事がまるっきりわかっていないんだな。

くるみを割らせるんだ。残りの歯がみんな欠けたって、顎がとれちまったって、こんな役立たずにはどうってことないさ。

この台詞はまるで、ほむらの自己嫌悪、自己犠牲を表しているように思える。

 

託されたリボン

マリーはいつも身に着けている綺麗なリボンを、怪我をしたくるみ割り人形に巻いてあげる。

言わずもがな、これはまどかの赤いリボンをほむらに託す場面である。

ここまでがTV版に対応する。そして、ここまでは『くるみ割り人形』が前面に出てくることはない。

くるみ割り人形』の物語はまだ序章に過ぎない。この先の物語が『叛逆の物語』に対応すると考えていいだろう。

 

偽街の住人

ほのかに覚えた違和感が決定的なものになり、眼鏡を投げ捨てて本来の姿に戻るほむら。ほむらを取り巻く偽街の住人に「おもちゃの兵隊」が紛れている。

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おもちゃの兵隊はくるみ割り人形と共に戸棚にしまわれている人形である。(p33他)

これが戸棚の中の、閉じられた人形の世界だと暗示する場面がこの先いくつかある。この偽の見滝原で繰り返される毎日も、ほむらのソウルジェムの内側に存在する結界の中の世界に過ぎない。

そして後に、ほむらは自らが「魔女=くるみ割り人形」だと自覚することになる。

 

偽街の壁面

ベベを問い詰めるほむらにマミが立ちはだかる。

ほむらの背後の壁面には、始めに描いてあったベベの画が消え、「抜け落ちる歯」の画が浮かび上がる。

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歯が抜けることはくるみ割り人形(=ほむら)にとって存在意義を失うことだ。

この場面の解釈は難しい。ほむらは魔女の存在を、自らが繰り返した時間を思い出し、無力な自分自身を思い出したのだろうか。

 

上空のくるみ

マミとの激戦の末、マミのリボンに囚われてしまうほむら。

二人の上空には「歯」と「くるみ」が浮かんでいる。

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「くるみを割る歯」は役割を果たすことの象徴である。

ほむらは「魔女を倒さなければならない」という使命感でベベを襲う。マミと銃火を交えることになろうともほむらが抵抗する理由は、その使命感に他ならない。

 

梟の時計

魔女は自分だと気づいたほむら。

ソウルジェムを身から離してその疑いは確信に変わる。

時計には梟が舞い降り、12時を知らせる鐘の音が響き渡る。

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ちなみにこの場面では鐘はしっかり12回鳴っている。

 

12時の鐘の音が鳴ると、ネズミの軍隊が現れマリーを取り囲む。

インキュベーターは「円環の理」である「鹿目まどか」を観測、果ては支配しようと彼女たちを取り囲む。

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マリーはくるみ割り人形が守るべき少女=まどかである。そして、ここではネズミはインキュベーターである。

 

戸棚のガラス

きゅうべえと対峙するほむら。

くるみ割り人形』はクリスマスの夜の物語。きゅうべえの立つ舞台には色とりどりのプレゼントが並んでいる。

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対して、ほむらが立つのはガラスの戸棚。

戸棚の中には沢山のおもちゃの兵隊が並んでいる。

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ガラスが割れ、棚からおもちゃの軍隊がネズミの軍隊に立ち向かう。

おもちゃ軍を指揮するのはくるみ割り人形くるみ割り人形(=ほむら)はネズミ軍(=インキュベーター)と深い因縁がある。

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腕の傷

戸棚のガラスを割ったのは、ネズミ軍に怯えて後ずさったマリーである。マリーはその際に腕を切ってしまう。

外科医が言うには、「すんでのところでそのガラスで血管が切れて、腕が麻痺して利かなくなるか、出血多量で命を落とすかになりかねなかった」ほどの悲惨な怪我である。母親が発見した際には、マリーは気を失って血だらけで倒れていた。(p50)

ほむらの結界の外から救いの手を差し伸べるまどか。彼女の手には見るも無残な傷がいくつも刻まれている。

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まどかの傷は、この世の呪いを一身に背負い永遠に闘い続ける彼女の運命がどれほど過酷なものかを示している。

傷の理由はマリーとは異なる。『くるみ割り人形』の物語を損なうことなく『まどか☆マギカ』の物語に昇華した見事な演出である。

 

マリーが救う危機

ネズミの軍隊との闘いで危機に陥ったくるみ割り人形を助けたのはマリーだった。

追い詰められたほむらを救うまどか。

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ほむらはまどかと力を合わせることで窮地を脱する。

 マリー(=まどか)はもう、くるみ割り人形(=ほむら)に護ってもらうだけの少女ではなくなっていたのである。

 

ネズミの王の王冠

インキュベーター達に打ち勝ち、魔の力を手に入れたほむら。ほむらのソウルジェムはソウルオーブへと変貌する。

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ネズミの王=きゅうべえを討伐し、ネズミ軍と完全に決着をつけた証である。ソウルオーブが王冠の形を模しているのはこのためだ。

 

以上に示したように、『叛逆の物語』の印象的な演出の多くは『くるみ割り人形』に基づく。少々難解な物語の内容も、こうして『くるみ割り人形』に照らし合わせるとより深く理解できるだろう。

 

物語の構造分析

最期に『叛逆の物語』に繰り返し現れる演出から、この物語の構造を分析したい。

その演出とは『ガラス』である。

 

ガラスの向こう側

くるみ割り人形』では、ガラスを挟んで「日常の世界」と「人形の世界」が隣り合う。マリーがガラスを割ることで二つの世界は混ざり合い、マリーは人形の世界へと迷い込んでしまう。

 

ほむら=くるみ割り人形であることからもわかる通り、ほむらは「人形の世界」の住人、つまるところ人形だ。では「人形の世界」とは何か? それはほむらの結界の中の世界である。

「日常の世界」と「人形の世界」の最も大きな違い。それは、人形は役割をもって生まれることである。人形は壊れるまで淡々と役割をこなすだけだ。

では、ほむらの役割とは何か? それは彼女が自らの口から語っている。

私はね、まどかを救う…ただそれだけの祈りで、魔法少女になったのよ。

ほむらに限らず、役割とは「魔法少女の祈り」のことである。つまり魔法少女であるマミ、杏子、さやか、まどかも人形であると言えるだろう。*1

くるみ割り人形』における「日常の世界」と「人形の世界」は、『まどか☆マギカ』における「まどかの世界」と「魔法少女の世界」に対応する。

ただし、まどかは最終的に人形を超越する。正確に言えば、まどかは壊れることのない人形になってしまった。壊れることもできず、永遠に呪いと闘う役割を果たし続ける存在になり、どちらの世界からも消えてしまった。

 

ガラスを割って

まどか☆マギカ』のほぼ全編を通して、まどかは魔法少女ではなかった。

まどかが魔法少女へ変身する行為は、戸棚のガラスを割って人形側へ踏み込む行為である。

これは『叛逆の物語』の変身シーンにおいてはっきりと描写されている。この演出は一瞬なので見逃しやすいが、ソウルジェムを手にした制服姿のまどかは手でガラスを突き破ることで魔法少女へと変身している

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ほむらはまどかを魔法少女(=人形)にしないために闘い続けた。

しかし、まどかは再び人形の世界へと踏み込んでしまうのである。

 

戸棚の外へ

魔女となったほむらは、もうどこにもいないはずの円環の理となったまどか、さやか、なぎさを「人形の世界」へと閉じ込めた。こうしてほむらはまどかと再び会うことができた。

まどか達は結界を破り、ほむらを結界の外へ救い出そうとする。それは同時に、まどかを「人形の世界」から解放することでもある。そうすればもう、ほむらはまどかと別れることになる。

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ほむらが自らが立つ戸棚のガラスを割りインキュベーターを捕殺していく場面もあるが、ここでは結界の外でインキュベーター達を一掃する。

くるみ割り人形がガラスの外へ出てネズミ軍を倒す構造は、二重の入れ子構造となっている。


どこにもいかないで

しかしながら、ほむらは迎えに来たまどかを引き裂いてしまう。

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「人形の世界」から解放されたまどかを、ほむらは再び「人形の世界」に連れ去る。

これは仕方のないことなのかもしれない。なぜなら、くるみ割り人形とマリーが旅した「人形の世界」は、夢のように美しく、優しい世界だったのだから。

 

マリーは物語の最後、人形の国の王妃となって、もう帰ってこない。

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「Countory of Sweets」と「Good Morning」。*2

彼女たちがこのまま甘い夢を見続けるのか、いつか目を覚ますのかは、まだ誰にもわからない。

 

 終わりに

魔法少女まどか☆マギカ』は見るたびに新たな発見がある、素晴らしい作品である。特に『新編 叛逆の物語』は示唆に富む場面が多い。

本文が皆さんにとって、『まどか☆マギカ』の世界をより楽しむきっかけになれば幸いである。

 

そして実は、『くるみ割り人形とネズミの王様』と、バレエ『くるみ割り人形』は厳密には異なる物語である。『叛逆の物語』は明らかにバレエ版を基にしている。バレエ『くるみ割り人形』についての考察はまた別の記事に書こうと考えている。

本文がお気に召されたら、次回の記事もぜひ読んでいただきたい。

*1:結界の中に引き込まれはしたものの、まどかの父や母、仁美、中沢くん達は「果たすべき役割」を持たないので人形であるとは言えない。

*2:Countoryは正しくはCountry。このミスが意図的なものかは不明である。